珉珉・南千日前本店 [難波(なんば)(大阪)]
「珉珉」の大きなちょうちん!
千日前の元映画館横の路地入ったとこ。
ここは「珉珉」一号店・南千日前本店!
昭和28年オープン!
餃子!!
餃子って美味しいですね。もう要らんと思うまで食べたい。
中国東北部(旧・満州)から帰ってきた方々が広めたと言われる焼き餃子、
お店で出す焼餃子は、ここ「珉珉」が初めてとも!
中国は元々水餃子。
ニンニクを入れるのは日本の餃子。
中国ではニンニク入れない。
当初、焼餃子には羊肉(マトン)を使うことが多かったため、
肉の臭みを消すためニンニクが用いられたんですと
たまたまかもしれんけど、日本は食べ物ほんまに凄い!
えびチリも美味しんです\(^o^)/
揚げそばものっけときます!
もちろん御一人でも、御馴染のカウンターで
ここで食べるからなお美味しい
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南海電鉄・難波駅(Ⅸ) [難波(なんば)(大阪)]
南海なんば駅・南海ビルディング。
南海ビルディングは、高島屋の入居する荘厳な建築物だけでなく、
なんばCITYや南海なんば駅、南海会館、スイスホテル南海大阪などの
建築物の複合体とお聞きしました。
(しかし、調べても確証的なもの出てこないのであくまでも伝聞)
そして、それらの建築物群の真ん中にあるのが、ここ「なんばガレリア」。
ここは・・・
1972年(昭和47年)から始まったなんば駅大改造の際、
当時は「千日デパートの火災」等の影響により、防火基準・対応が大変厳しく
高島屋が入居するビルからの増築増床が許されず、
空間にすることを余儀なくされたいわくつきの場所なんですと。
結果的には、こんな素敵なとこになったんでよかったですね!
「なんばガレリア」にあるガラス張りの大屋根。
蓋するみたいに簡単に取り付けたのかと思ってましたが、
実は色んな工夫があるんですね!
写真にもある二本の大きな柱!
ガラス屋根を支えるこの立派な柱を建てるには、それ相応の地盤が必要!
そんなのはなんばCITYひっくり返すような大変な工事になってしまうのですが、
実はすでに頑丈な地盤になっていたんですよ!
それは、前述のように元々この空間はビルの増築部分になる予定だったからなんです。
凄い!
ロビーにあるカフェからの眺めはもっとええですよ。
リッチな待ち合わせ場所にもなりますね!
そして、再び大屋根のお話。
写真のオレンジ部分。
屋根のはり?は、スイスホテルから続く構造物になっているとのことです。
宴会場の裏側らしいのです。こうしないとやはり支えきれないらしいです。
色んな工夫でこの大屋根が出来たんですね。
安全第一!南海さん凄い!
水色部分は「大黒柱」。
そして、緑の部分は・・・
南海会館の壁面だったんですね!
気がついてませんでした。
高島屋・なんばCITY・なんば駅・スイスホテル・南海会館がぐるっと取り囲む、
明るく素敵な吹き抜け空間「なんばガレリア」。
あらためてめちゃ気に入りました!
そして、ここは元々「ロケット広場」
待ち合わせにめちゃ利用ささて頂きました!
ロケット飛び立った時の写真貼っときます!
南海電鉄・難波駅(Ⅷ) [難波(なんば)(大阪)]
南海ビルディング正面右側に見える通称「鐘つき堂」。
正面から見るお姿に「鐘」は見当たりません。
天気のいい日は屋上の「鐘つき堂」とてもきれいです。
南海ビル見学ツアーの際に案内していただきました。
ここは通称「鐘つき堂」だけど、鐘がぶら下がっていたという確証はなく・・・
南海ビルのかっこいい「塔屋」だということ。
ただ御堂筋の突き当たりだけに、シンボリックなものには間違いないです!
天井には何かがぶら下がっていたような感じ。
でも・・・
重たい「鐘」は無理な感じかな^^・・・
んー、どうしても鐘がぶら下がっていて欲しい!
しかし、実際に「鐘つき堂・塔屋」に来てみると
意外と気になるのはコチラ「関西空港特急ラピート」の看板。
中身どうなってるんやろー?
カラーエフェクトかけときました!これだとかっこいいです!
ところで・・・
ラピート(関西空港特急)にかける思い、
それは、この出来事から始まったと言ってもいいでしょう。
1988年11月11日南海ホークス球団をダイエーへ売却。
これは大変残念でした。
しかし、これで空港開港に向けた様々な事業が始まったと記憶しています。
1990年には南海サウスタワーホテルが開業(現スイスホテル南海大阪)
空港の玄関口としての機能を整えていきました。
しかし大阪球場はしばらくほったらかし。
CATSになったり、住宅展示場になったり・・・
1998年にやっと解体されました。解体自体は残念でしたが・・・
そういえば、球場入口付近にハードロックカフェもあったりしました!
そして球場跡地に2003年10月ようやく「なんばPARKS」をオープンさせました。
そして2007年4月にグランドオープンです。
なんばパークスはとてもいいとこです!
ほんまそう思いますし、大好きスポットです!
南海なんば駅とその周辺、とても素晴らしい施設が充実したんだけども・・・
肝心の関西空港が低空飛行。
さらに一段と関空が活性化しないと南海電鉄さん色々厳しそうです。
南海電鉄・難波駅(Ⅶ) [難波(なんば)(大阪)]
南海なんば駅で出発を待つ関西空港行きラピート。
なんば駅は北側にしか改札口が無く、
増え続ける乗降客を捌くには限界に来ていました。
また、長大編成の列車には対応できないことから、
万博終了後の1972年(昭和47年)より大改造に踏み切りました。
架道橋の高さ設定などの問題もあり、2階部分のプラットフォームを3階部分へ。
その下2層を有効活用する案になったとのことです。
道路側に高野線の仮高架橋をつくり本戦を東側部分に
西側部分を高架化させ完成したのち、東側部分も高架化していったと。
(詳細な工事計画は成書を^ ^)
1974年(昭和49年)10月に南海線ホームが完成。
写真はその後の様子かな。高野線ホームの工事中のようです。
1980年(昭和55年)11月に工事全体が終了し、
新しいなんば駅が完成しました。
鉄道ピクトリアル2008年8月号より。
なんば駅完成を待たずに、地下2階〜1階部分にはなんばCITYがオープン!
1973年(昭和53年)11月に一部開業!
1975年(昭和55年)3月には南館完成で全333店グランドオープンとなりました。
当時の南海ビルディング正面。南海の緑のマークが懐かしい。
(なんば駅完成記念乗車券より)
オープン当時、一階部分から3階改札口へ。
今の「なんばガレリア」
かなりすっきりしたのがわかります。
この空間にも色んなエピソードあります。またいずれ。
オープン当時の1階中央改札口です。
現在の中央改札口。
色目や入居テナントは変わりましたけど、構造自体はそんなに変化してません。
新しいなんば駅完成当時に配られてた時刻表。旭屋書店の広告付きです^^
ピラミッド広場とかありましたね!
こちらはなんば駅リニューアル完成当時のチラシです。
きのくに号とか懐かしいですね。
南海電鉄・難波駅(Ⅵ) [難波(なんば)(大阪)]
南海なんば駅。
この羽車型の南海電鉄初代社紋。
ちゃんと残ってるのがかっこいいです。
阪堺鉄道時代に輸入した客車のカーテンの布地についていたものと。
羽根のついた車輪が飛ぶように速く走るといったことからこのマークを社章に。
ちなみに・・・
こちらのハグルマソースは
こちらの社長さんが南海の社長と仲良しで、「うちのマーク使ったらどや!」
で羽車マークとなったとのこと。
ハグルマソース(本社・和歌山県紀の川市)
さらに・・・
南海食堂の羽車マークには鳩ぽっぽがついてたようです^ ^
空襲で焼けてしまった専売局の跡地に
1950年(昭和25年)大阪スタジアムの建設がすすめられます。
1956年(昭和31年)の南海なんば駅。渋い写真です。
(南海電気鉄道・歴史でめぐる鉄道全路線より)
後述する南海会館(これも南海ビルディングの一部!)の建設は
ドーム屋根左側(西側)で始まります。
昭和32年南海ホークス黄金期のホームスタジアムとして賑わってました。
写真上部の南海会館の建設が始まってます。
創立70周年事業として南海会館の建設。
周囲はまだまだ低層の建築物ばかりですね。
8線9面の難波駅。
(鉄道ピクトリアル2008年8月号より)
1972年(昭和47年)改良前のなんば駅。ホームは高架2階部分。
ドーム屋根がとてもかっこいいターミナルです。
しかし惜しまれつつ、なんば駅は更なる大改造に動き始めるわけです。
(追加)
現在の南海ビルディング・南海会館。
昭和47年やったかな。改良前なんば駅(鉄道ピクトリアルより)。
南海電鉄・難波駅(Ⅴ) [難波(なんば)(大阪)]
南海なんば駅。
関西国際空港と直結する大阪の玄関口「なんばガレリア」。
今日は5回目。
まずは写真右側(西側)の貨物駅を廃止して仮設プラットフォームを。
続いて左側(東側)旧旅客駅敷地に4線5ホームを建設。
仮設プラットフォームに残りにもう一組を建設。
(できるまでの間、4線で本線・高野線をなんとかまわす。。。)
ココですね。赤丸で囲ったとこです。
これだけのビルになると、謎めいた部屋とかありそうで楽しいです!
南海電鉄・難波駅(Ⅳ) [難波(なんば)(大阪)]
昨日の南海なんば駅。
高島屋本店が入居する南海ビルディングが四代目駅舎。
ルネッサンス様式の堂々とした姿がなんともかっこいいです。
誰がみてもかっこいい。大阪の誇りですね。
南海は1929年(昭和4年)より難波駅の大改造に乗り出しました。
写真は工事着手前の三代目なんば駅舎。
工事は、この駅舎を避けるようにすすめられたようです。
まずは、1930年(昭和5年)に中央西より部分が完成。
さらに西側は工事中ですが、「高島屋一部開店!」と営業を始めてます。
同じく夜も高島屋一部開店中!
さらに西側部分が完成。
こんな風に分けて順次拡張・・・ほんと壮大なビルディングです。
西側からみたお姿。二期工事完成!!
そして残りの東側部分の工事に着手。
1932年(昭和7年)7月に完成。
駅のホームの高架化は1938年(昭和13年)ですので、まだ地上ホーム。
貨物駅やら色々残ってます。
南海高島屋、全館開店7月15日より!
ええ感じです!
当時のオープンしたての高島屋南海店に駆けつけたい!
昭和10年の南海ビル。
地下鉄も完成し、
御堂筋の突き当たりにどっしり姿を眺めることができるようになりました!
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(追加)
「全館開店!」時の様子!
南海電鉄・難波駅(Ⅲ) [難波(なんば)(大阪)]
南海なんば駅、難波駅の歴史をたどる旅。今日は第3回。
南海電鉄・三代目難波駅。
1911年(明治44年)10月に完成。翌11月には南海食堂も。
南海食堂。食べに行きたい。。。
写真は東側からの撮影ですね。
市電も走ってて賑わってます。
写真右手より北方向へ戎橋筋が続いています。
大正後期の南海難波駅。
現在の難波駅敷地内に「延命寺」というお寺あったんですね。
調べてみますと・・・延命寺さんは、現在、東大阪市に移転しています。
明治44年の「実地踏測大阪市街全図」
掘割りに加え、この難波駅・湊町駅・汐見橋駅の存在が
とてもかっこいい感じ。
大正11年には高野鉄道を合併し、昭和4年には高野線の全列車を難波発着へ。
(汐見橋発着は堺東や住吉東まで?)
あと・・・
駅南側にあった専売局(大阪地方専売局大阪工場)は空襲で壊滅。
(日露戦争以降できたタバコの専売工場・赤煉瓦造り)
最後は、現在地との比較。
三代目駅舎は、おもちゃみたいで可愛らしい。
市電が走ってるのも風情があります。とにかく空が広くてええです
(追加)
正面(北側)からみた絵がありましたので追加掲載。
南海電鉄・難波駅(Ⅱ) [難波(なんば)(大阪)]
1888年(明治21年)、9月に完成した二代目難波駅。
初代駅舎は同年4月に焼失しています。
場所は、現在の南海ビルの北東部。
戎橋筋突き当たり、新しく増築された高島屋部分あたり。
ホームは一面。
本社事務所も左手に写ってますね。
南海鉄道が阪堺鉄道を吸収合併したのは1898年(明治31年)。
難波ー和歌山市間が全通したのは1903年(明治36年)。
さらに1903年(明治40年)には、難波ー浜寺公園間を電化させてたと。
写真は明治末期の浜寺公園駅(宮田憲誠氏所蔵)。
当時、いち早く電化していた阪神の影響もあり南海もとのこと。
当時の人々は・・・
目新しい電車に乗って、新しくできた浜寺公園・海水浴場に行ってたんですね