模擬原爆のお話 [帝塚山・住吉(大阪)]
広島銘菓「川通り餅」胡桃が入ってて、美味しいですねえ
川通り餅(亀屋ホームページ)
むさしのおむすびと並んで、めちゃ好きです
広島の方からの頂き物です。ありがとうございました
先日も、
広島御出身で大阪在住のお二方とお食事
そこでも話題になったことなんですが・・・
大阪大空襲後の心斎橋筋商店街です 「なつかしき大阪」より
写真の通り大阪市中心部は空襲で壊滅的な状態となったのですが、
大阪東南部の住宅街は戦災を免れています
そんなわけで、開高健の育ったお家もそのまま残っているわけです
愛珠幼稚園はよく燃えませんでしたねぇ
しかし、それはある一発を除いた話です・・・
開高さんも住んでた、大阪市東住吉区田辺です
北西から南東にかけてはしっている阪神高速松原線(旧南海平野線)と
南北を貫く道(現在の長居公園東筋)が交差するあたりに・・・
1945年7月26日、
たった一発の爆弾が田辺に投下されました
当時は「1トン爆弾が落とされた」とされてたようです
何故か焼夷弾ではなかった・・・
おばあちゃんと
「田辺小学校の方に爆弾落ちて、凄い音やった」
「恐かった?」
「怖かったよ」
と話をしたの覚えています
ここに落とされた爆弾が、
実は「模擬原爆」だったとわかったのは1991年のことです
長崎に投下された原子爆弾と同型のパンプキン爆弾です。
1トンではなく、実は4.5トン爆弾やったとのこと
って・・・・実はよくわからん
まぁ、凄いという意味で「1トン」とした位やし、写真もめちゃめちゃやから、
やっぱ凄まじかったんでしょう
死者7人、重軽傷者73人、倒れた家485戸、被災者1645人・・・
まぁ爆弾投下の練習場所だったということなんですが・・・
石碑も建ってます
何故、ここやったんやろう・・・
とも思いますが、
住宅地を斜めに走っていた
南海平野線が標的にし易かったんでしょうかねぇ
あと、他の爆弾落ちてないし・・・
練習で、また日本の街に爆弾落とすって・・・30都市50発
そもそも、広島・長崎だけやなくあちこちめためたにする気満々やん
下に人おんねんで。。。
その石碑が建っているところに、美容院があります
名前は・・・
「atomic」・・・
んー、何とも微妙なネーミング・・・
次の言葉が出てこない・・・
広島のお二方もそうおっしゃってました
毎年7月26日には追悼式開かれています
ちょっと思想がかってるのが頂けませんが・・・
やや強引な展開で、さらにツッコミどころ満載なネタですが、
模擬原爆のお話でした
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